6月
駄菓子屋の思い出
私が子供の頃は、家はかなりお金のない生活をしていました。
小学校6年になるまでお小遣いなんてもらえませんでした。
あれは小学校3年か4年の頃。
近所の駄菓子屋さんでいつものように入り口近くで、友達が買い終わるのを待っていました。
私はお金がないんで、いつもそうやって待ってばかりいたんです。
店から出てくる友達は皆、お菓子の入った紙袋を持ったり、ラムネを持ったりしてて、すごくうらやましく思っていました。
1人だけ何も食べるものがなく、すごく悔しい思いもしました。
腹が減って家に戻ると、よく婆ちゃんが「みそおにぎり」を作ってくれました。
「ばげまままんで、これで我慢へ。」と。
あの美味かったこと。
ある日、いつものように駄菓子屋の入り口で友達を待ってると、少し離れたとこに住んでる伯母さんが通りかかりました。
「たっくだでばな。何してらの?」
と聞くので
「友達が買ってるのば待ってらの」
と答えました。
すると伯母の目にみるみる涙が溢れてきて
「たっく、これで何でも買ってきなさい。全部使ってもいいはんで、好きだもの買ってきなさい!」
と、財布から5百円札を出して渡してくれました。
私はうれしくてうれしくて、そのお札をおでこに貼り付けながら店に入って行きました。
あの時、店内にいた友達が「お札だ!」と叫んだ声が、未だに忘れられません。
そして、どうしても飲みたかった「ミリンダ」を1本と、イモ当てを1回やりました。
お店から出て、伯母にお釣りを渡そうとすると
「それはたっくにあげるよ。お母さんにはちゃんとしゃべっておぐはんで」
と言ってくれました。
次の日、使おうと思ってもどうしても使えませんでした。
だって、使ってなくなったらまた悔しい思いをしないといけないと思ったから。
使わなくても、自分にはお金があるんだと思えるだけで、幸せな気持ちになれたんです。
そんな貧乏な家でしたが、親父が長い出稼ぎ暮らしから帰ってきて、いくらか人並みになりました。
中学に入ってからは、クラスメイトと同じ額だけお小遣いももらえました。
伯母はまだ健在でして、事あるごとにあの時のうれしかった気持ちを伝えています。
なんて すがさ、いい話っこだの。優しさって、ほんとに いいもんだよの。おばさん孝行してらが~?ってが。
世の中、本当にたんだでねえ状況さおがれでるこどもだぢいるんだばって、だれがひとり、優しぐしてくるひといれば、だいぶ違うんだばってなあ~、ど思うのさ。昨日、ある近所の家の子供だぢの状況きいで、なにでぎるべが~、どおもうばって、いわゆるネグレクトってやつで、親も祖父母もいっしょに住んでるんだばって、けっこうとんでもない状態だらしい。なんとが、なればいいんだばって。
6月 25th, 2008 at 6:06:06>BCさん
ネグレクトは日本でもずいぶん増えできてらよ。
昔みたいに、ご近所付き合いの少ない社会だはんで、中々周りの人が助けでってことは難しいんだべな~。
あの時の500円だけんて、誰がの気持ちさ光ば灯せれる事ばしたいね。
6月 25th, 2008 at 8:45:07