8月
戦場へ行った村人達
「こうして村人は戦場へ行った~滋賀県旧大郷村 徴兵記録~」
って番組を観ています。
大変な時代の大変なことを、実際に体験した方々がきちんと話してくれています。
体験者のお話には、ものすごく胸に突き刺さるものもあり、酒を飲むのも忘れ見入ってます。
実は私の母方の祖父も、太平洋戦争時、南方で兵士として戦っていました。
終戦を待たずに負傷し、命からがら帰ってきたそうです。
祖父は片足に大きな怪我を負い、亡くなるまで足を引きずって歩いていました。
酒を飲むとすぐ酔っ払い
「たっちゃん(彼は私をそう呼んでいました)、戦争はおっかね~よ~。命令されれば人ば殺さねばまねし、撃だれだり、刺されだりへば痛い。命令さ逆らえば骨が折れるまんで叩がれる。たんだでね~もんだよ」
と、涙ながらに話していました。
私が中学の時です。
祖父の家の近所のお祭りに行くと、心無い大人が
「戦争で怪我して帰ってきたなら、国からいっぱいお金がもらえていいね~」
と言ってるのを聞きました。
祖父はその時、
「じぇんこ(お金)だのいらね~はんで、足ば治してけろ」
と言ってました。
するとその大人の人が
「あはは、わぁが代わってやりたいじゃ~」
と大笑いして言ったのに、若かった私は、今でいう「キレて」しまって
「おいこの野郎!てめ~はビッコ(差別用語ですみません)引いで歩ぐ大変さがわがね~のが!」
と、むなぐらをつかんでしまったものです。
祖父は
「たっちゃん、いいんだね。わぁだって敵さんば撃ったこともあるしよ。死んだら詫びるじゃぁ」
と言っていました。
私が知る限り、祖父は毎日酔いつぶれてました。
酔うと戦争の話ばかり。
「こうやって、バン!バン!バン!って3回撃って、休んでまんだ3回」
とか、私には理解できないことも言ってたのを記憶しています。
この番組を見て、祖父のことを思い出して、彼の辛さがちょっとだけわかったような気がします。